サブリミナル白昼夢

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早咲きのくろゆり 体験版 考察 「ジェンダーSF的百合視点から覗く」

恋は甘く、甘美なものとよく言われる。だけど、それは胸を締めつける呪いに変わることもある。

主人公の笹森ささもりはなは、卒業を間近に控えた三年生。
変わらないと思っていた高校生活も徐々に終わりが近づき、一抹の寂しさを感じながらも青春を精一杯楽しんでいた。
ある日、クラスメイトで親友の近江谷おおみやいつきが「みんなでやり残したことを書きだそう! 単語帳に!」と提案する。
クラスメイトでこれまた仲のいい二色にしきあおいと共に三人で、卒業までの少しの間、やり残したことをやると決めたのだが…?

目次

開発者が描きたい百合が最初から明示された本作

体験版をプレイして感じたのは、製作者が描きたい百合が明確に示されているということである。
昨今の百合の潮流として、同性であることの葛藤が薄い(もしくは無い)ことが挙げられる。
これについてはさまざまな理由があると思うが、作者が同性の葛藤以外に描きたいことがあるのだと私は推測している。けっして創作する者が同性愛を軽んじていたり、現実逃避のためのフィクションとして描いているのではない。

ただ、同性愛を社会通念上認められたものとして描くと、現状との乖離が発生する。これは創作する上での取捨選択の話になってしまうのだが、百合を描く上で現実における異性愛規範をどうするのか?という問題にぶち当たるのだ。

本作で開発者が描きたいのは、同性であることの葛藤と、言ってしまえば異性愛規範が蔓延する社会で同性を選ぶことの重みであると、私は考察している。

本作の設定は近未来(2060年以降)であり、CLIIウィルス(ウイルスではなくウィルス)という架空のウイルスによって滅びかけたが、なんとか立て直した日本が舞台となっている。このウイルスによって、パンデミック時には国内の子供の2/3が亡くなるという未曾有の危機に瀕していた。

これらの対策として、国は出生率を上げるため、子育て世帯に対して所得税や住民税が減額される優遇政策を実行するのだが、それだけではなく独身者に対する独身税が存在する。これらは実質的に、異性愛規範を増長させることに繋がっている。
この政策によって現代にも増して、『異性と結婚して子供を産むのが普通』という社会通念を作り上げてしまっているのだ。

この世界での同性愛についての社会認識は、体験版の範囲では明言されていないが、同性婚についても未だ認められていないし、同性愛に対しても(現実と同じように)風当たりが強いのだと想像できる。

主人公や周囲の人々の考えから社会通念を推測すると、異性と結婚して子供を持つのが普通だと考えているフシがある。(ご丁寧に妊娠を強調するように主人公の姉は結婚しておりお腹に子供がいる)
これは偏見に満ちた誤謬なのだが、この世界は「同性愛は子供を産めないから価値がない」と考えてしまう人達が一定数いるような社会なのではないだろうか? 繰り返すが、これは偏見に満ちた誤謬で、馬鹿馬鹿しく聞く価値のない主張だ。

しかし、それを増長させるような優遇政策をこの世界の政府はやってしまっている。もちろん、いつの時代も子育てへの経済的支援は必要だが、それと同じように少なくとも平等に同性婚は認めるべきだろう。*1

近未来であるならなおさらだが、それでも同性婚を認めていない(と思われる)設定としたのは、異性愛が当たり前と言われる世界で同性であることの葛藤を如実に描くためだと推測できる。
あまりにもグロテスクだが、主人公はこのような世界で同性を好きになり、相手の幸せを望むのだ。まるで地獄のような仕打ちだと思ったが、残念ながら現実の日本は同性愛者に対して、現在進行形で同じようなことを行っている。

SF的視点から見た本作

さて以上のように、私は本作をSFとして、つまり様々な社会問題を多角的に描いた作品だと思って見ている。

いわゆるジェンダーSF的観点から見た時、馬鹿馬鹿しい主張である『生殖能力がないから同性愛は意味がない』という風潮がある社会で、主人公は『相手の幸せを願う』強い思いと『恋心』の狭間で揺れ動くことになるのだ。*2 *3 *4

言うまでもないが、彼女の『相手の幸せを願う』というのは、樹が『普通』の恋をするために同性である自分の気持ちは打ち明けないということに繋がる。これは恋心が呪いに変わる悲劇的な結末を予感させる。
しかし、ここで重要となるのが、プレイヤーの存在なのだ。

ビデオゲームと百合は基本的に相性が悪い

基本的に百合ゲーというものは、プレイヤーは壁であり、(申し訳程度のビデオゲーム要素である)選択肢はあるが、直接的な干渉というのは描かれない。また百合というジャンル自体が基本的に鑑賞するものであり、干渉するものではなかった。またあったとしても高く評価されることは少なかった。

ビデオゲームと百合は基本的に相性が悪い。なぜなら一般的なノベルゲームは、豪華な紙芝居と言われるほどゲーム要素が薄い、しかし、ゲーム要素を盛り込むと今度はプレイヤーが百合ゲーにとって邪魔な存在になってしまうトレードオフの関係がある。

だが、昨今は百合の多彩化もめざましく、百合にビデオゲーム的要素を盛り込んだ傑作も確かに存在する。言語学習ゲームとしての側面も持つ『ことのはアムリラート』や、"先生"と"ある少女"の二人を今までにない手法で描いた音声作品『イルミラージュ・ソーダ』はその最たる例だろう。

そして、本作はこういったビデオゲーム的要素を深く盛り込んでいる。プレイヤーはありふれた選択肢ではなく、8bit時代のコマンド入力方式のADVを想起させるような、主人公への単語のインプットということが可能だ。
実際にゲームに触れてみると分かるが、キーボードから直接入力するという操作は、物語に深く干渉している感覚がある。

つまり、プレイヤーは壁としてではなく、プレイヤーとして百合ゲーに参加させられることになる。プレイヤーの存在を作品内で明確にするようなメタフィクションかどうかはまだ分からないが、少なくとも主人公は何らかの外的作用を受けて、行動を変更する。悲劇的な結末を回避するための存在としてプレイヤーがいることになるのだ。

ここで質問だが、百合ゲーに対してあなたが一番求めているのは何だろう?
女の子同士のイチャつき? 濃密な物語? 考察しがいのある設定? 否だ。

あなたが百合ゲーに求めているのは、間違いなく百合であるはずだ。プレイヤーは百合を見るために、悲劇的なバッドエンド(百合に繋がらないエンド)を回避し、百合を成就させるためにプレイする。悲劇的なバッドエンドを見るためにプレイする人もいるかもしれないが、あくまでも副次的なものであり、基本的には百合があると信じて百合ゲーをプレイするだろう。

ここに、百合ゲーのゲーム要素とプレイヤーという物語外から干渉する存在を成り立たせる図式がある。
先程も述べたように、ビデオゲームと百合は基本的に相性が悪い。しかし、百合を望むゲーマーは少なくとも百合を成就させようと努力する。
物語に参加させながらも百合の邪魔にならず、主人公を応援し、時に助けとなる存在としてのプレイヤーを本作は作り上げている。これによって従来のノベルゲー、百合ゲーには薄かったゲーム要素が生まれるのだと推測できる。

他者に干渉するのは悪趣味ではないのか?

以上のように、本作は主人公の思考のような内面に干渉して変化させているが、それは悪趣味ではないのか?という指摘はあるだろう。
しかし、プレイヤー(というより百合を楽しもうとする者全般)は、主人公の秘めた(まだ言語化すらされていない)恋心を覗き込んでいる時点ですべからく悪趣味である。また、悲劇的な結末を回避する能力を持っていながら、それを行使しないのもそれはそれで悪趣味だ。

少なくとも、プレイヤーは花というキャラクターの助けとなるために背中を押す存在として描かれているのであって、キャラクターに害意を与える存在として描かれるわけではないはずである。
ただし、花(とプレイヤー)はそこで、他者に干渉することが、本当にその人の幸せに繋がるのかという葛藤が生まれることになるのだと思う。この一方的で自己満足的な救済をどうしていくのか、これも物語の根幹になるのだろうと推測している。

まとめ

まとめると、早咲きのくろゆりは百合ゲーとして描きたいものがはっきりしており、異性愛規範が暗黙の了解として存在する現代的な日本の中(近未来とCLIIウィルスなどは明らかにそれを強調するための設定として使われている)で、揺れ動く主人公を描きたいのだと強く感じる。異性愛が普通と言われる世界で同性であるからこその葛藤、逡巡、迷いからのカタルシスを描きたいのだと。

近未来ではなく、現代日本の現実的な描写をそのまま使うのでは駄目だったのか? と思われるかもしれないが、現実の日本は、ジェンダーギャップ指数は125位(2023年)で、未だに同性婚も認められていない。あまりにも同性愛への差別と偏見に満ちあふれていて、悪意が生々しすぎるためそういった現実をプレイヤーは受け入れづらいと思う。

だが、ここまで考察してきたようにフィクションは社会問題を提起して可視化し、現実を直視するためのものでもある。
今回は、ジェンダーSF的視点から早咲きのくろゆりを考察した。発売を控える本作が、百合だけではなく同性愛についてどのように描くのかについても、これから注目していきたい。

*1:同性愛者でも子供を持つ家庭は多い

*2:同性婚を認めると出生率が下がるというのは科学的根拠がない間違いである

*3:また同性愛者は同性に性的指向が向くだけであり異性愛となんら変わりがない。つまり異性愛規範が蔓延していたとしても、同性愛者が異性を対象にすることはほとんどない

*4:ただし現時点で主人公の性的指向が明確に示されているわけではないが、同性へ性的指向が向いているような描写がいくつかある