サブリミナル白昼夢

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タコピーの原罪 感想 「タコピーの原罪における救い」

※本編に関するネタバレを含みます。

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宇宙は、138億年前からずっと存在している。
宇宙は、分かっている範囲だけでも465億光年という距離がある。

じゃあ人類は? わずか600万年ほど前に誕生した。
じゃあ人類は? 一番近いとなりの恒星に向かうだけでも十数万年ほどかかる。
"きみ"という存在は、人類のすべては、まったくもってちっぽけな存在だ。

 

なにも宇宙の真理に目覚めたわけではない。

こんなちっぽけな存在は、子供だろうが大人だろうが、ぶつかる問題の困難さと数にくらべて 自身が解決できることははるかにすくない、という事実の確認だ。

いじめ、貧困、家庭環境、メンタル、人間関係の悩み。etc、etc……。

宇宙からすればとてつもなくちっぽけな問題かもしれないが、私たちにとってはそれがすべてである。それらはひとつひとつが長いあいだ根をはって複雑に絡み合い、生きている間ずっと私たちの頭を悩ませる。

こういった問題がなにかしらの手段で解決できるなら、人類はすでにハッピーなはずである。そうなっていないのは、なんであれ問題を解決することはとても難しいという一言に尽きる。

だとしたらこの世界は一ミリの救いがない、足を取られたら立ち上がることすら難しい、落とし穴だらけの地獄なのだろうか。

 

もしかしたら、そうなのかもしれない。それでも私はこの世界には救いはあると信じたい。たとえそれが楽観だったとしても。

その救いとはなにか。それは、話し合いによる順風満帆な解決などではなく、ましてや問題解決に対して即効性がある暴力という(しかし反動がすさまじい)手段などでは、けっしてない。
というより、単純な話し合いや短絡的な暴力で解決するような問題なら、きみはそれほどまでに苦しんだり悩んだり擦り切れたりなんかしていないだろう。
逆に、きみがそれによってそれほどまでに苦しめられているのなら、頭の片隅では理解しているのかもしれない。

その問題を生きている間に「解決」できる可能性は限りなくゼロに等しいと。

だからこそ、きみが本当に欲しかったものは問題を解決に導いてくれる、あるかどうかすら分からない「方法」や「手段」や「道具」ではけっしてなかった。
たしかにそれらがあるに越したことはないが、往々にしてまず存在自体しないし あったとしても手に入れられること自体がまれだ。

それゆえに、その問題を分かち合う「友達」や「家族」が。共有する「仲間」が。おはなしする「自分以外の誰か」が。きみに、きみたちには必要だった。

問題を解決することはできなくても、それが傷の舐め合いだとしても、隣にいてくれる存在が一緒に悩み、喜び、怒り、哀しみ、笑い合ってくれる。それこそがきみたちが心の底から望んだものだった。

 

タコピーという宇宙人の「原罪」はそこにある。彼は最初(まりなサイドの時点で)、ハッピー道具を使って、彼女らを幸せに"してあげようとする"が、ことごとく失敗している。これはタコピーの行動を振り返ってみると必然だろう。
そしてどんなハッピー道具を使ったところで、それらは簡単に解決できるような問題でもない。

最初の世界で彼はまりなに寄り添うことを放棄し、見捨て、何も理解しないまま「大ハッピー時計」という道具によって解決を図ろうとする。しかしそれは完全に間違いだった。

それを理解したからこそ、彼はただ寄り添うことを選んだのだ。どうしようもない問題を、どうすればいいのか分からないと謝りながら、ただ耳をかたむけて一緒に過ごすことを選んだ。

そして彼は最後、彼女の障害を取り除いてあげるのではなく、彼女が心から望んでいたことを理解したうえで道具を使った。彼女の幸せを考え、その身を犠牲にしてハッピーを生んだのだ。

 

「タコピーの原罪」には救いがある。

しずかのように愛してくれる人が誰もいない境遇の中で。まりなのように崩壊してしまった家庭環境の中で。東のように期待されない態度を親から向けられる中で。
そんな地獄のような現実を変えることができなくても「きみ」は「きみたち」になれるという「救いの物語」であり「愛の物語」でもある。

そしてこの作品は、私たちが生きる世界のこともきっと信じている。
さまざまな問題にぶつかり、個人だけでなくいろいろな集団と社会が、衝突し、疑念にまみれ傷つけあったとしても。それらすべてを解決できなくても、すこしでも良い未来に進み、乗り越えていけると信じている。

 

だからこそ何の意味がないとしても、それによって救われることがあると感じているからこそ。
私たちは今日も、いろいろな人たちと「おはなし」していくのだ。