サブリミナル白昼夢

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わたなれ 二次小説「あたしと彼女の交換条件」

 空調の風を切る音だけがゆるやかに響く図書室。さきほどからまだ一周もしていない壁掛け時計の秒針を、琴紗月は睨みつけた。

 人を呼びだして待つなんていつぶりかしら。と独りごち、私は辺りを見回す。今の時分はテスト期間でもないので利用者はほとんどいない。現に今は、受付の図書委員のほかは誰もおらず、静かな図書室の中で、自分のひとりごとがやけにはっきりと耳に届いたのだった。

 ここを待ち合わせに指定したが、それは彼女とふたりきりになれて、しかもちょうどいい場所だと思ったからだ。だけどもしかすると、いつもの場所を安心する空間だと感じていて、無意識に選んだのかもしれない。

「それにしても遅いわねあの子。私を待たせるなんていい度胸だわ」

 今度はわざと、自分を奮い立たせるようにしてそううそぶく。

 少なくとも、こんな気持ちで人を待ったことも、あんな心持ちで人を誘ったことも記憶の中では一度たりともないと、そんなことを思い返していた。

「今日の放課後ちょっといいかしら」

 三限の終わりにそう話しかけた私の声が、存外小さかったことに内心驚いた。その驚きを顔に出さないように意識しながら、彼女の今日の予定を聞く。

 他の人に聞かれてつっこまれたくない会話だった。彼女の席は少しだけ離れているので、人がいないタイミングを見計らって話しかけたのだ。

 席に座っていた彼女は、私の顔を見て目を丸くしながらも、『先生にも呼びだされてたので、終わってからでもいいのなら』と言ってくれた。

 それが今日の午前中の出来事である。

 もしそこまで遅くなるようなら、こちらからラインして明日に仕切りなおそうか、そんなことを考えながら上着の右ポケットに入ったスマホに触れかけ、しかし、ここまで心を決めて待っているのだ。何がなんでも今日言ってやる、という気持ちになってきた。

 浮いた手でスカートの端をもてあそぶ。すぐに終わるとは言っていたが、すでに待ち始めてから十五分ほどが経っていた。

 

 お手洗いで前髪をセットしていた彼女は、鏡に映っている黄色い髪留めのリボンと右手首のシュシュを見ながらつぶやく。

「まさか、紗月サーちゃんから呼びだしをくらうとはね…」

 そういう意味の呼びだしではないとわかっている。というより、彼女があたしにそういう感情をもつとは思っていない。

 むしろ、グループ内で話しているときに、気づかず彼女の地雷を踏んでしまって、これからこっぴどくシメられる。のほうが正しい気がする。

 だけど、いつもとは違う、控えめで恥ずかしそうな態度で話しかけてきた彼女を見て、そんな可能性を考えてすこしだけ胸が高鳴った。とっさに、先生に放課後呼び出されてた、なんて言うほどに。

 結果的にクールダウンするのにはちょうどよかったかもしれない。

 「えへへ…もしそうだったらどうしよ。まさかのかほさつ誕生か!?なんてね!」

 頬をもみながら、ゆるみそうになる口もとをひきしめて鏡を見つめる。こんなところを見られたら彼女はなんて言うだろう。何も言わずにしかめっ面をして去っていきそうだ。そしてあたしはいつもみたいに絡みにいってウザがられるのだ。彼女のそういうあっさりとした態度があたしはスキだった。

「さーて、いっちょ行きますかー!」

 振り上げた右手の黄色いシュシュが、あたしに勇気をくれている気がした。

 

 仕方なく鞄から取り出した文庫本は一頁も読み進まなかった。軽いため息をつきながら鞄に本をしまう。

 焦りなんて自分らしくもない。あとは自分の気持ちを素直に伝えるだけなのだ。頭では理解していても、行動に移すのがはてしなく難しい。いつも私のすこし先を進んでいるあの女と、昔から一緒にいるせいか、そんなことは身にしみて理解していた。

 …むしろあいつと一緒にいるからこそ、自分は素直になれないのかもしれない。

 窓の外から茜色の光が差しこみ始めた頃、受付以外誰もいなかった静かな図書室の扉が、ガラリと開いた。

 

 はたしてそこに待ち構えていたのは、鴉の濡れ羽色の髪をもつ彼女、琴紗月だった。

 机のまわりは蛍光灯に照らされて明るいが、夕焼けの赤さは図書室の空間を不気味に装飾していた。

 外窓からの光があまり差していない書架棟に佇む彼女の表情はうかがい知れず、あたしは急かされるようにして、声を抑えながらも口を開いた。

「遅くなってゴメーン!センセーの話が長くってさ!」

「べつにいいわ。遅くなるのを想定して待つと言ったのだし」

 本当は怒っているのか、それとも本当に何とも思っていないのか分かりにくい口調で彼女は話す。

「んで、何用だい紗月サーちゃん。あたしひとりを呼びだすなんざあ、穏やかな話じゃあないねっ!」

 近づきながら、彼女が話しやすいように、単刀直入に、すこしだけふざけて聞いてみる。

 もし彼女があたしをシメるつもりで呼んだのなら、この発言でブチ切れているだろう。さすがにそんなつもりじゃない…はずだよね。すこし不安になってきた。

「そうね。ある意味で穏やかじゃない話…かもしれないわね」

「え〜、こわいな〜紗月サーちゃ、ひゃっ!?」

 唐突に右手首をつかまれ、書棚の裏に引っ張りこまれる。

紗月サーちゃん…?」

 シンと静まりかえった図書室。その書架棟の暗がりで、ぴったりとくっついて密談しているという状況に汗がにじむ。彼女のシトラスのような柑橘の匂いが鼻孔をくすぐり、自分の匂いは大丈夫だろうか、と心配になってきた。

 身体が、匂いが、距離が、近い。

「香穂にお願いがあるの」

  彼女の声が頭上から聞こえる。あたしの右手首をつよくつかみすぎたことに気づいたのか、その手をやさしく緩めた。

「な…、なに?」

  視線を上に向けると、彼女の黒曜石のような瞳がふりそそいだ。そこに色彩が反射して、ああ、この瞳に吸いこまれてしまうのだな、と一瞬、そんなバカな考えがうかんだ。あたしは、息をするのもわすれてそのふたつの宝石に魅了される。

「付き合ってほしいの」

 言葉が頭に入ってこない。こんな時、まつげながいな、なんて本当に思ったりするのだな。と他人事のように考えた。

「へ…」

 なにかを言おうとして形にならない音だけが出た。空気を求めてパクパクと水面から口を出す魚のようだ。心臓の音がやまない。触れられている手から彼女の熱を感じる。

 よく見ると彼女の耳は暗がりでも分かるくらいに真っ赤だ。

 あたしの言葉を少しも待たず、たたみかけるように彼女は言葉を紡ぐ。

「……編み物に。あなた、前に言ってたわよね。手芸が得意だって」

「……………………うん?」

 想像してたような話…では、やっぱりなかったらしい。

「靴下を編んでみたいのだけど、やり方もぜんぜん分からないし。調べようと本を借りようとしても、どんな本がいいのか分からなくて。あなたから教えてもらうのが、いちばん手っ取り早いと思って」

「…ひとつ聞いてもいーい?」

 あたしはギモンに思ったことを口にした。

「…何よ?」

「なんで編み物したいと思ったの?」

 彼女は眉を寄せて少しの間黙りこみ、結局は苦虫を噛み潰したような顔で答えを口にした。

「…母の誕生日にプレゼントしたいからよ」

 あ、だから照れてるのか。かわいい。

「ふーん? あの紗月サーちゃんがねぇ〜。フンフンフ~ン♪」

「なんで上機嫌なのよ…」

「いや〜? 紗月サーちゃんにもかわいいところがあるんだにゃあ〜って思っただけだよ〜? いーっつもあたしに辛辣だからさ。もしかしてホントにウザがられて、ボコるために呼びだされたのかと思って、ちょっとあせっちゃったよ!」

「あなたがウザいのは事実だけど、そんなことでボコらないわ。しかもその理由で呼びだすなら、きっともっと人気がない場所ね。今から校舎裏にいきましょうか」

「ボコる気マンマンじゃん!紗月サーちゃんのドS!マザコン!孝行モノ!甲斐性アリ!」

「うるさいわね…沈めるわよ…」

「あっあっ、やめふぇほっへいたひ!…あたしを沈めたら編み物できないよ!それでもいいの!?」

「あなたがこんなに騒がしい人間じゃなければ、わざわざふたりきりになる必要なかったのに…」

「だったらラインでもよかったじゃん! 呼びだして改まってお願いしなくてもさ?」

 彼女は昂った自分を落ち着かせるように息を吐いて、呟いた。

「だって、人にものを頼むなら相手の顔を見て、でしょう」

 告白みたいに不器用で、だけどそんなまっすぐな言葉を聞いて、あたしはもっともっとたくさん、彼女のことを知りたいなと思った。

 そんな気持ちを伝える代わりに、あたしはこんな交換条件を提案をしたのだ。

「わかったよ、もう仕方ないなあ! 編み物について、イチから十までぜんぶ教えたげる! 本も図書室のだけじゃなくて、あたしの持ってるオススメも貸したげるよ! だけど、交換条件があるのだよ! 紗月サーちゃんはコスプレについて、どのくらい知ってる!?」

 あたしははやる気持ちを抑えずに、彼女の手を引いて本と本の合間を歩き出す。

 右手に感じる彼女のぬくもりにこれからもふれていたいと、あたしはそんなことを思ったのだった。