サブリミナル白昼夢

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考察 ブルーアーカイブで描かれる『銃』とは何か?

ブルーアーカイブNEXON Gamesが開発し、Yostarが運営するスマートフォンアプリ用のゲームだ。プロデューサーはキム・ヨンハ、アートディレクターはキム・イン、シナリオはisakusanと韓国から生まれたゲームである。

園都市キヴォトスを舞台に、プレイヤーは大人である『先生』となって、生徒である少女たちを支えていく。少女たちはみな銃を持ち、アクセサリー感覚で身につけ、ぶっ放す。だが少女たちは弾が当たっても死ぬわけではなく、気絶するだけにとどまる。
ただし、キヴォトスの外から来た先生は例外であり、銃で容赦なく死ぬということが序盤から明言される。

ここで重要なのは、銃が人殺しの道具として殺傷能力を維持しながら(銃で撃つと人は死ぬというアタリマエがある)も、彼女たちはアクセサリー感覚で持ってそれらを使うということ。
そしてもう一つ、死の概念があるという点だ。(彼女たち生徒も死なないわけではなく、ヘイローの消失=人格や生命・意識に相当する部分が破壊されてしまうと、廃人、実質的に死ぬことが描かれている)

なぜこれらが重要なのかというと、これらは学園×青春×群像劇というベールで包み込み、コミカルな描写でフィクションとして扱いながらも、描かれているのは銃による破壊行為と対立・紛争であり、血なまぐさくなくとも(本作が青春だけではない、血と相対的な青を意識しているのは偶然ではないだろう)少女たちの価値感がぶつかり合う争いの世界を表しているからだ。

これらは銃を握る当事者ではない、冷戦構造の庇護の中で平和と繁栄というぬるま湯に浸って、戦前から現代に至るまでお上の言うことを聞いていただけの日本では描けない作品だなと感じた。

韓国は言うまでもなく兵役制度がある国で、第二次世界大戦後から兵役法が施行されてから現代まで続いている。
現在、世界情勢は不安定であり、韓国もまた北朝鮮と休戦状態ではあるが、今なお南北戦争の可能性がある。彼ら若者には自分が銃を握り、人を殺す者・銃により殺される者としての当事者意識が強くある。
本作にはそういった、人を殺すための道具としての銃、暴力に対する怒りや憎しみを端々から感じさせるのだ。
これらをフィクションとしてでも描く資格があるのは、銃を持ったことがない我々のような部外者ではない。当事者のみだ。

国家による暴力装置は、国民に組織化された暴力を強いる。本編で戦うことを強要されるのはブルーアーカイブの常で、彼女たちは戦わざるを得ない状況で銃を手に取り、戦う。それらは現実とリンクし、フィクションとして描きながらも差し迫った脅威を如実に意識させる。
ブルーアーカイブは、戦争を他人事として楽しめてしまう日本ではぜったいに描けない当事者としてのフィクションを描いている。

 

では、ブルーアーカイブは『銃』そのものを否定しているのか?というとそうではない。日常と地続きの銃というのは、身近に銃があることへの抵抗感だけではなく銃への憧れも感じさせるのだ。

それこそ、銃で生徒たちが死なないことは含意なのではないだろうか。

人を殺すための銃を嫌悪しながらも、どこか銃に対して魅力を感じている。つまり、人を殺すためではない銃は好きなのだ。

一見相反しているように見えるが、これは我々でも理解できる感覚だろう。銃を撃ってみたい、扱ってみたいと思う人もいるはずだ。

これらの憧れは特に、生徒たちが扱う銃のモーションの拘りからもひしひしと伝わってくる。何より銃が好きでなければ銃を題材にしないだろう。

生徒一人一人の銃があって、モデルとなった銃が緻密にカスタムされデコレーションされている。銃は彼女たちの相棒であり、個性を示すアイデンティティの一つだ。

銃は人を殺すためではなく、大切なものを、大切な人たちを守るためにあると。そのために彼女たちは銃を手に取る。

それは、青春を謳歌する生徒たちが一身を投げ打って、教えてくれたことでもあるのだ。

 

参考文献:アニメと戦争