サブリミナル白昼夢

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性の話 - なぜ多様性が少数者だけの問題ではなく「私たち全員」の問題なのか?


誠に失礼な質問なのですが……、あなたは女性ですか? それとも男性ですか?

あなたは性別について聞かれたことはあるだろうか。
個人的には、今話しかけてきた目の前にいる人が、女の人か男の人かについてはどうでもよい。

その人が右利きか左利きかくらいにどうでもよく、さして重要なことではないのだ。

相手の性別によって態度が変わっていない……と自分で断言することはできないが、どちらにしろ、きちんと相手のことを見て話すことに変わりはない。*1

というわけで今回は、性……、すなわち人間の性のあり方(広義の意味でのセクシャリティ)について話をしましょうか(唐突)

 

性別には、『女』と『男』の2種類がありますよね。男女の違いは、見て分かるような外見的な特徴(表現型と呼ばれる)からも判断することができます。また、社会的文化的役割・自分の認識としての性差(ジェンダーというのもあります。

 

この二項対立で分けられた、いわゆる性別二元論という概念はなにかと便利です。
世界の複雑な事柄を見る際、定義をシンプルにすることは、世界を理解する一助になります。

だからこそ社会は明確に性別を区別し、生まれた時から女の子らしく、男の子らしくと言われて育てられます。

 

『世界には女と男がいる』

物事を要素に分けてラベル付けを行い、簡略化し、定義し、社会通念として文脈化したものを『常識』と、そう私たちは呼んでいます。
この『常識』のおかげで、私たちは複雑な世界で混乱せずに現実の問題に対処できるのです。

ただ、それが簡略化された事柄だということを忘れ、性別二元論の『女か男か。つまり、世界には女と男しかいない』という考えに拘ってしまった時。

本来の目的を忘れ、眼の前の複雑な物事には対処出来ず、本質を見失ってしまうかもしれません。

 

性別二元論は間違いではないですが、正確というわけでもない。
それは概略として性別を語っただけで、複雑な細部について語っていないのです。

 

性別の複雑さについて挙げましょう。

まず第一に、典型的な女性や男性という枠に収まらない個体が必ず一定数いること。

これは人間だけではなく動物も同じで、自然界に存在する多くの種でオスのような行動を取るメス、メスのような行動を取るオスが存在します。

また、外見がそのような個体がいることも広く知られています。

そして、生物は生活史の中で性転換を行うもの、また同時に卵巣・精巣をもつ個体などが多く存在します。

これらはその生物特有の例外的なものだとは言えず、自然界で広く存在する一般的なものです。

それらを見ていくと、性を2つに分けるだけでは現実にそぐわず、すこし無理がある話だと分かると思います。

そのため、科学の領域には「性スペクトラムという概念が生まれました。

しかしまず、この「スペクトラム」の意味を説明しようとするとなかなか難しい。

簡単にまとめ、説明してみようというのが、この記事を書いた理由のひとつであります。

 

スペクトラム、そして性スペクトラムとはなにか?

すこし悩みましたが、「スペクトラム」という言葉を説明するのにピッタリの表現がありました。というよりその旗はずっとそのことを指していたのでした。

察しのいい読者なら気づいたでしょう。そう。そのまんま、『虹』のことです。

虹は(多くの人が認識できる色の範囲において)、7つの色が構成されていますが、色の境界はなくひとつの連続的なまとまりに見えます。

性別もそれと同じような形で、その人が女性か男性か、その中間のどのあたりにあるのかは、多くの因子が関与していることが生物学や遺伝学は語っています。

二項対立的な表現をしてきた性を、虹のように、連続的なグラデーションとして表現する。

それが性スペクトラムです。

 

この性スペクトラムは表現型、つまり生物学的性別に適用され、また性的指向ジェンダーにも適用されますが、それらは独立した別物と考えるべきパロメーターのようなものです。

生まれた時の生物学的性別やジェンダーが一致するとは限らなかったり、生物学的性別と性的指向が同じでジェンダーは一致してない場合もあります。生物学的な性やジェンダーについて知れば知るほど、それらは普通のことだと理解できると思います。

 

私個人としてはその科学的根拠に基づく事実(ただし、私の知識が間違っている可能性はある)を知っているので、なぜ社会が性的少数者をいないものとして扱ったり、同性を好きなだけで結婚できないのか甚だ疑問でした。

今話しかけてきた目の前にいる相手が、女だろうが男だろうが、女の人が好きな女だろうが、男の人を好きになった男だろうが、その他だろうが、心底どうでもいい。

私にとって『我も人、彼も人。故に対等』であり、その人のセクシャリティ(性のあり方)がどうであるかは、利き手の違いほどの重要度でしかないのです。


つまり、性別には『女性』と『男性』と、『その他の少数派』があるのではなく、すべての人が男女両方の要素を持ち、複数の因子によって複雑に絡み合って定義されるものだとまとめることができます。

だからこそ、性の多様性は、性的少数者だけの問題ではなく、すべての人の問題でありすべての人が取り組むべき課題だと言えるのです。


そして、人間の性のあり方には生物学的性別の他に、性自認ジェンダー(社会的・文化的な性差)、性的指向(狭義の意味でのセクシャリティ)という切り離して考えるべき別の要素もあります。

けっきょく、最終的な性別を決める(あるいは決めない)のは世間ではなく、あなただけです。

一言でいうなら、愛に垣根は無いはずなのです。

現代には、性に多様性が存在することを受け入れるような下地が、まだ存在していないと言えますが、少なくとも、科学は性に多様性があることを証明しています。

これからもその事実を伝えていくことで、社会を変えていくことができると、私は信じています。

 

参考URL

性とジェンダー - 日経サイエンス
「R.エプスタイン - 変化するセクシャリティ(Do Gays Have a Choice?)」より

性はXとYだけでは決まらない - 日経サイエンス

揺れる性別の境界 | Nature ダイジェスト | Nature Portfolio

本領域の概要 | 新学術領域研究「性スペクトラム」

性同一性障害について | 北九州市 いのちとこころの情報サイト

DSM-5より性同一性障害は「性別違和」へと名称が変更された

 

*1:ちなみに相手に性別を聞くこと自体は悪いことではない。先入観で決めてしまうことの方が失礼だと私は思う