
私は、この百合短編小説をぜったいに許さない。
人って
なんら罪に問われることも、
なんら非難されることもなく、
誰かを、刺し殺すことができるんですね?
創作によって。
同人誌は。
編集*1や商業作品というフィルターを通していない、良くも悪くも濾過されておらず、かといって生々しすぎて誰も見たくない、存在を認めることすらしたくない、感情の発露が描かれていることが多いと思うんですよ。
もちろん、商業作品のような創作にもそういったものは多いかと思いますが。
けれどそれはたとえば、お店に並ぶよう体裁を整えられた、資本主義に媚びたある意味で「売るために作られた」感情を消費するための「売り物」としてのコンテンツ。
たいして同人誌は、路上で売られている粗野な無修正ポルノのような、誤魔化しもモザイクもなく、売れることなんて微塵も考えていない、人間の唾棄すべきクズみたいな欲望や悪意とかがそのまま描かれているのだと、勝手に感じています。(もちろん即売会に出すような物は販売ルールとかを定められていますが)
作者自身を焼き尽くすほどの、燦然たる剥き出しのルサンチマンが形を為したものが、同人誌であり、そして創作であるのだと。
ただ、私は創作者ではありません。
(感想や考察、二次創作SSを好き勝手書いているような、1→100にする「二次創作者」ではあるけど、0→1にして宇宙を生み出すような「創作者」ではない)
私は創作する人が何を考え、なぜそこまでして創作をするのかまったく理解できないですし、私自身、創作するような「火種」もないのだと。
そう、思っていました。
正直に言ってしまうと、Akeo氏の描いた「火華」は、読んでいてめちゃくちゃイライラしました。
それは物語の構成や、文章の技巧どうこうの話ではなく(シロウトが「流石」というと失礼な気がしますが、流石Akeo氏は小説がめちゃくちゃ上手い)、正鵠を射ているからで、読者のやわらかく弱い部分をえぐり、掘り起こしてくる作者に対してです。
そして同時に、火華とMioの二人の会話の内容をすんなりと受け入れて、飲み慣れた炭酸水のように、彼女たちの思想が身体に染み込んでくる自分に対して、です。
私は「それ」をどこかで認めたくなかった。
社会に溶け込み、三角を支えるフリして、崩れるのを待っているようなダサい自分を認めたくなかった。
本当はそんなのを待つことなく、自分から破壊しにいかなければならなかったのに。
自分が不幸なフリをして立ち止まって、社会に不満を垂れ流すような人間にはなりたくなかった。なりたくなかったのになってしまった。
「それ」を指摘されて、気づいてしまった。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ。
それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。
それも嫌なら……」
というアニメ(攻殻機動隊 S.A.C)の台詞があります。
これは、対テロ組織所属の主人公:草薙素子が序盤、制圧したテロリストに向けて放った一言です。
本編全体の文脈を無視してこの言葉をそのまま受け取ってしまえば、「批判をせず、自分自身を変えろ」と読み取ってしまうこともあるでしょう。
ですがそれはひどい誤読であり、本当に言いたいことはまったく違っています。
それは彼女に「世の中が変わらない・変えられないことへの苛立ち」があって、「社会に適合するように自分を変えることもできないことの苛立ち」があるからです。
自分の中の確固たる正義を信じているけれど、そんな道理が通らない世の中に対して不満たらたらで。
かといって社会を変えることもできず、同時にそんな社会に迎合することもできず、密かに闘い続ける自分を変えるようなこともできない。
そんな草薙素子という存在が、テロリストに対して言った八つ当たりのような台詞なのです。
そして、
「僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えた。
(が、ならざるべきか?)」
と問いかけた「笑い男」という青年の、草薙素子自身と同質の、確固たる信念と正義に出会うことで、自身の内包するいらだちの炎に突き動かされるように、彼女は事件を解決し、社会と組織(職場)からフェードアウトします。
この構図は(一週間も経たず職場をやめた)火華とMioの同質性とその関係に非常に良く似ています。
これらを要約すれば、
なんとか社会に適合しつつも、そんな社会に不満を抱えながら闘わずに、いまだに火種を燻ぶらせ続けていた社会不適合者が、カリスマと裡なる『炎』を持った本物の社会不適合者と出会うことで、社不をこじらせて社会からフェードアウトする話と言えます。
ひっどい要約だな。
私はただの「ファン」であり、ただの「無産百合オタク」ですが、「火華」を読む前からこのように「社会に不満がありながらも自分自身を変えることもできない」ということには、自分で嫌になるほど自覚していました。
だけど、自分の中に
「創作によって一生の傷痕を誰かに刻みたいと望む、それこそ合法的に誰かを殺したいほどの強い『殺意』」
を持っているなんて、まったく知りませんでした。
こんな感情、知りたくなかった。
Mioが言った、
——みんな死ねって思いながら描きました
という台詞があまりにもすとん、と胸におちてしまった。
濾過されず、自分の中に存在することすら認めたくない、生々しすぎて直視することも無意識に避けていた感情。
それに、気づかされてしまうことの恐怖。
私が好きなクリエイターさんには、作品に対する衝撃のあまり、「絶対に許さない」と思っているクリエイターさん、淡乃晶さんや月野木ちろるさんなど数名いるのですが(逆恨みすぎるだろ)。
今回この「火華」によって、Akeo氏も追加されました。
許さないぞAkeo先生……🔥(迷惑すぎるだろ)
もし本編のごとく、読んだ誰かの一生モノの傷痕を残したいと思って、作者がこれを書いたのであれば大成功です。私はAkeo氏に大きな拍手を送りたいと思います。
ありがとうございます。先生は私の心をズタズタに引き裂いた天才です。
それくらい、深い傷痕を残したのが今回のこの「火華」です。
たぶん、読む前と読んだ後では、決定的に私の中でなにかが変わってしまった。
それこそ、本編で火華が霧雨蓮の作品と出会い、衝撃を受けたように。
そして美織の作品と言の刃に突き刺されたように。
だから私は、今の自分ができる、精一杯の反抗としてこれを書きました。
自分でも気づかない内に見ないフリをして、心の奥底に隠していた「それ」を、たった一作の百合短編小説によって暴かれ、眼前に晒され、刻みつけられるという出来事。
これは、実際に起きてみないと、されてみないとその衝撃は計り知れないのだと思います。
なので、この仄暗く煌々と光る感情に共感してもらう気も、理解してもらう気も、感情移入してもらう気も毛頭ありません。
というより、前々から思っていましたが、そういった「共感」や「感情移入」といった口当たりのいい言葉を、形だけ口にするのであればそれは私にとっての敵です。
勝手に自己投影して、
勝手に分かりやすく語り直して、
勝手に自分の納得できる都合のいい範囲で置き換えて、
それができなかった時、手のひらを返して異常な人を見るように目で見てくるのであれば、最初から知ったような口を叩くな!とぶん殴りたくなる。
「死ね」と。
もちろん、私が書いたこのレビューこそ、自分自身の共感と感情移入にまみれたひどい自己満足と自己投影に満ちた、ドブ臭く気持ち悪い文章なのですが。
私にとって、この「小説」は、火華にとってのMioです。
私にとって、最愛の敵が「火華」であり、それは斃すべき「目標」となりました。
私にとって、着火された「火種」。
「火華」はそういう作品です。
私にとっての、私だけの。
I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes
僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えたor Shuold I?
が、ならざるべきか?
※このレビューは喩え話でありもちろんすべて「フィクション」です。
実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。
あなたにも。
*1:編集者という職業の方々を下げる意図はまったくございません