サブリミナル白昼夢

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あした、人生(いのち)が終わるとしたら 感想 『希死念慮について』

 

大好きなもの食べてー。

したかったことしてー。

行きたかった場所に行ってー。

そしてふと思うんだ。 死にたくないなあ。

 

タイトル:『あした、人生(いのち)が終わるとしたら』
サークル名:OverFlowers
プレイ時間:1時間程度
ボイス有無:主人公のみボイス有り

 

私がこのゲームに出会ったのは、友人が「死にたい」とこぼしてきた年末年始頃だったと思う。

人が死にたいと思う時、いろんな理由があるだろうが、生きることより死んでしまうことのほうが楽だからが多いと思う。

少なくとも、私の友達はそうだった。

一番の解決方法は、親身になってくれる誰かに聞いてもらうことだ。私の友達もそれ+専門家への相談、薬物療法でだいぶ良くなったが、希死念慮はふとした瞬間に頭をもたげてくるそうだ。

希死念慮というのはどうにもやっかいで、抱いたことのない人には理解できないものかもしれない。

ただ、そういう瞬間は誰にでもあるものだと私は思っている。そして、そういう人にとって、つまり皆にとってこのゲームは心に残る作品になるはずだ。

 

『あした、人生(いのち)が終わるとしたら』と聞いたら。私の友達は「死にたくないなあ」と言うと思う。

なぜなら死にたいと心から願っているのと同時に、死にたくないと心の奥底で望んでいるからだ。

現在の解決できない(と思われる)問題から逃げたくて自死を選ぶ。それと同時に、その問題をどうにか解決したいと思っている。自殺は逃避だが、その人にとって唯一できる解決手段であると感じているため、私は責めることはしない。生きたい意志が強い人ほど自殺するのだと。

ただ、一つ言えるのは、自殺は問題解決の手段にはぜったいにならないということだけだ。なぜなら死が終わりだと証明されておらず、死んだ瞬間にまた生をやり直しているかもしれないからだ。

あなたの自殺は何度めなのだろうか? と考えたことはあるか?

まあ、これはただの妄言で、ショーペンハウアーの受け売りだ。

 

希死念慮のいい解決方法は、自死から目をそらさせることである。それは他人と会話し、相談し、支え合うことだ。

人はみな、何かしらの問題を抱えている仲間であり、相談するに値する友人もいるし作れるはずなのだ。楽観的で難しいと感じるかもしれないが、あなたの周りを見渡せば誰かがいるはずだ。ぜったいに。

 

前置きが長くなってしまったが、主人公である紬希(つむぎ)にも友人や家族がいる。

モブとしてしか彼女には映っていないが、もっと踏み出せば(あるいは相手が踏み込めば)彼女にも唯一無二の親友が生まれるように感じる。

登場人物が一人しかいない掌編ノベルゲーだが、彼女が周りに目を向ければ、少なくとも死にたいという情動に目を向けることもなくなるのではないだろうか。と思ってしまった。

彼女が死にたい≒生きたいと望む姿はきっと、私の友人と同じで、だからこそ彼女の苦悩を知って私は涙した。

みっともなく生にすがりつくからこそ、ホームの黄色い線を踏み越えないからこそ、冷たい海で溺れないように必死にもがくからこそ、人は美しい。

少なくとも私はこの作品をプレイして、そう思った。