“人間の本質は暴力である”と言われるほど、この世界に暴力は普遍です。
だけどほとんどの場合、私達はそれを知ることなく、嵐のない静かな海岸を歩いて生きています。
その道からわざわざ外れ、創作作品などで残虐な行為を目の当たりにしたがるのは、純粋な興味であり疑似体験したい。という欲望の表れなのでしょう。
しかし今回の場合、私は自身の欲望に死ぬほど後悔しました。
創作作品の陰惨な描写に慣れきっている私ですら、"彼女"が味わった恐怖とされたことのおぞましさ。彼女がどれほど健気に頑張っているかを語り明かしたあとにやってきた、その”事象”は筆舌に尽くしがたいほどで、涙すら出せずただただ絶句していました。
しかし、その”事象”に怯むことなくぜひ最後までプレイしてほしいと思うのは、この作品がただの露悪趣味的な作品ではないからです。
コンフリクトガールの登場人物について
のぞみと皐月
主人公である相川のぞみ(左)は、かなりの小柄ながらも明るく朗らかな性格のおかげで、存在感を放ち周りに人を惹きよせる魅力を持った人物です。
そんな彼女にも翳の部分はもちろんあり、その悲しみを押し隠すように健気で明るく振る舞いがちなのが物語当初のキャラクター像でした。
表情がころころ変わるので、見ていてとても楽しい人物です。
ヒロインである篠塚皐月(右)は、誰にでも優しく、誰からでも好かれるような人当たりのよさと少し天然が入っている、一緒に居てとても楽しく過ごせるような女の子です。
のぞみから見た彼女は、亡くなった母に雰囲気が似ているらしく、次第に彼女に惹かれていきます。
どうやら友人になる前からのぞみを意識していたらしく…?
暴力と愛は共存できない
題名である”コンフリクト”とは、”葛藤”、”相反する”、”矛盾する”といった意味ですが、同時に並び得ない感情を見ることができるのが、コンフリクトガールの大きな魅力のひとつです。
私はこれまで、”暴力と愛は絶対に共存できない”と考えてきました。
この世界に満ちる暴力は、肉体的なものや精神的なもの、性的なものなど種々様々です。
現実問題として暴力に愛は存在しないと誰もが理解していると思います。
暴力を振るいながら、『愛してるから、これも愛の形』などとのたまう人間は、ただの嘘つきであり、詐欺師であると誰しも感じると思います。
なぜなら暴力の根本的な目的は、”暴力”であって、感情表現や問題解決の手段として用いられますが、決して相手を愛するための手段にはなりえないからです。
人は多くの場合、暴力を忌避します。しかし恐ろしいほど簡単なはずみで、恐ろしい行動を起こせるのもまた人間だと思います。
このゲームをプレイしても、暴力に対する私の姿勢、つまり、"他者を支配する手段として用いる最低で最も忌むべき行為"という認識は変わりません。
しかし、"暴力と愛は共存は出来ない"が、"暴力を伴いながらも純愛として成立する"とはこういう事かと、コペルニクス的転回をうけました。
主人公であるのぞみが、日常という白いシルクの端にある小さなほころびを見つけてしまった時、彼女の日々はゆっくりとほつれ始めます。
のぞみと皐月たちが過ごす日々は飾り気がなく、ゆるやかに描かれていますが、それはあたりまえの大切な日々として、また登場人物たちに焦点を当てて描くためだと感じました。
そして、そのおかげで私は登場人物たち全員が大好きです。
もちろん、サスペンスなので日常の中に見え隠れするほころびや、緊迫感などが気を引き締める良いスパイスとなって、物語を魅力的なものにしてくれていました。
相反する彼女の想い、そこから生まれる登場人物たちの感情は一言ではとても説明できず、やはり”百合”であり、"純愛"としか言いようがありません。
百合サイコサスペンスアドベンチャー『コンフリクトガール』。ぜひプレイしてみてください。
ちなみに、サイコサスペンス(Psycho Suspense)百合でPS百合です。なかなか使わなそう。
※ここからは『コンフリクトガール』の物語の核心に触れるものとなっています。
トゥルーエンドまでについて
この場面は作中でもとても好きなシーン
のぞみが皐月に向けていた感情をしっかりと自覚してから、なにかに苦しんでいるような皐月に寄り添うだけではなく、彼女を支えたいと強く望むようになりました。
大きすぎる皐月の重荷は、のぞみ自身が支えるだけでは共倒れになってしまうと考え、周りの人にも相談します。
ここでののぞみはとても前向きで、キャンプ場であんなことがあった後だというのに、健気すぎてプレイしてて泣きたくなります。
自分が困っている時、誰かを頼ったり、助けてもらうことは何も悪いことはない。とこの作品を通してあらためて感じました。困っている時はお互い様、ですね。
父親に本心を打ち明けるシーンは何度見ても心が救われますね…。
けれど終盤、これまでの日常を通して皐月を信頼していたのぞみは、他でもない彼女自身の手によって裏切られることになります。
しかも、彼女が裏切ったのは一度だけではなく、皆で行ったキャンプの時も裏切られていたことを思い知らされます。
あの時、のぞみは背後から襲われていますが、それを行った人物が他でもない、皐月だということが明かされます。
動けなくなるほどのあの恐怖が、彼女からもたらされたと本人の口から聞いて私はただただあ然としていました。
のぞみが皐月に押し倒されながら、そんな現実味のないことを本人の口から言われても私はまるで理解が追いつかず、一言も言葉を発することが出来ませんでした。
皐月の持つ狂気と危険性
このシーンの皐月の後ろ姿と背景だけで圧倒されました
皐月の隠し持っている狂気と危険性は本編でも描写されたように、他人の苦痛にだけ共感と喜びを覚え、そういった自分の感性を憎むことです。
また子供や女性といった弱者を傷つけることにとくに大きな快感を覚えます。
そういった意味では、のぞみが自分から話しかけてくれたことに僥倖を得たことでしょう。
ただし、ここで重要なのは、そういった自身の異常性を皐月自身が心の底から嫌悪していることです。
かくして彼女は『のぞみと一緒に寄り添って生きたい』という思いと、『のぞみが苦しむ顔が見たい、殺してしまいたい』という二律背反の感情を抱くことになります。
のぞみの幸せを望みながら、楽しそうな顔や幸せそうな顔を嫌悪し、のぞみの苦しみを願いながら、彼女に害意を直接向けてしまうことを何よりも恐れます。そのせいか、バッドエンドでは多くの場合自殺を選びます。
このあたりの皐月の想いは、もはや”百合”としか言えないほど複雑なもので、本作でしか味わえない唯一無二の体験だと思います。そして、これが皐月が本来持っている愛だと感じました。
もし彼女がもっと自身の欲望に溺れた人間だったら、のぞみが好意を持つのは難しいでしょう。
なによりのぞみが好意を持ったのは、彼女が心の奥底で深い苦しみの中でもがき続けていること、そこから助け出したい、手を差し伸べたい。と感じたからです。
しかし皐月の好意と害意の天秤は、のぞみに告白され、自身の核心に触れられたことであえなく崩れます。
のぞみを自身の母親と住んでいた家に呼び出したのは、死んだ母親に見せつける抽象的な意味合いもありますが、誰にも邪魔されないためといった即物的な意味や、彼女なら必ず駆けつけてくれると当てにした意味合いもあるのでしょう。
このシーンの皐月は、かなり複雑な感情をのぞみに抱いているのが伝わってきました。
のぞみの強さ
皐月がそんな感情を抱いているとは、つゆ知らずに押し倒されたのぞみは、ぼぅっとしながら振り上げられた皐月の拳を見つめて、無抵抗に皐月から殴られます。
もはや私は、その時点で情緒が死んでいたので、涙が自分の頬を伝ってもつめたいな、くらいにしか感じませんでした。
って、私の情緒がコンフリクトガールに殺された話はどうでも良いのですが、ここで大切なのが皐月から暴力を振るわれた、のぞみのこのあとの願いです。
彼女はそれでも、”一緒にいたい。幸せになってほしい”と皐月に伝えます。
この時の彼女は、トゥルーエンドに入る選択肢を選んでいる場合なら、自身の過去と向き合い、自分の大切な人を、自分のようにあたりまえに大切にするとても輝かしい人間です。
のぞみのその態度は、暴力に屈した後ろ向きなものではなく、また盲目的にその人に向ける被支配欲のようなものでもありません。
皐月の性質を文字通り肌で感じ、彼女の本音を聞いて、それでも彼女のそばに居たいとのぞみが出した答えであり、愛だと思います。
純愛たりえるのは
コンフリクトガールが純愛たりえるのは、まず、暴力を振るわれた被害者であるのぞみが、本当の意味で皐月を受け入れたことです。
暴力行為に屈したりするのではなく、どこまでもまっすぐに彼女自身を愛しています。
そして暴力を振るった加害者である皐月。彼女はこれまで到底許されないことをしてきました。しかし、彼女は自身の性質を心から嫌悪し、苦しみ続けています。
のぞみへの悪意を限界まで押し留めた皐月、そんな皐月の悪意に触れても、皐月自身を受け入れたのぞみ。彼女たちの心は、私にはとても輝かしいものに見えました。
“コンフリクトガール”とは、言うまでもなく皐月のことだと思いますが、人は誰しも、なにかしら矛盾した想いを抱えていると思います。
その苦しみの中で、獣ではなくどうやって人として生きるか。生きるより死んでしまうほうがはるかに楽なこの世界でどうやって存在していくか。といったら”辛い時には人に頼る”。そんな当たり前ですが、果てしなく難しいその方法しかないのだと思います。
のぞみの信頼は、なにも盲目的に信じるということではなく、その人の本質を見抜き、その人自身の善性を信じる、とても奥深い思慮です。
皐月に手を差し伸べたとしても彼女にはなんのメリットもありません。
が、そんな次元の話ではなく彼女は"皐月を助けたいから助ける"。という人として最上級に高潔な精神で動いています。
そして物語の終盤では、母が亡くなったのは自分のせいではない。と心から受け入れ、献身的で自己犠牲的な振る舞いをやめ、本当の意味で人を頼り、頼られることを識りました。
皐月の好意と害意の葛藤は、常人では計り知れないほどの苦しみと絶望だと思います。それでも、彼女がした事は到底許されるべき事ではありません。
だとしても、彼女の周りで支えてくれる人達が幸せでいてくれるのなら、そして彼女が心から泣いて、幸せに笑えたのなら、私はそれでいいと思っています。
のぞみと皐月、そして周りで支えてくれている人達の、”これから”がどこまでも純粋に楽しみな、希望に満ちあふれたトゥルーエンディングでした。
この作品をプレイすることが出来たことを、私は心からお礼が言いたいです。
この作品に携わった方たちへ最大限の感謝を込めて。